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【英語】『英語教育、迫りくる破綻』

こんにちは、広島市の英語塾 School Imanishi 英語学院の講師、今西一太(Kazu)です。

今日は書評です。『英語教育、迫りくる破綻』(大津由紀雄ほか)を読みました。

言語学、英語教育などを専門とする大学の先生4人が、現在進められようとしている英語教育の改革について批判をしている内容です。

表紙には「入試・卒業要件にTOEFL等」「英語の授業は英語で」「小学校英語の教科化」という岩が壊れそうになっている英語教育という建物に向かっているところを、著者である4人を模した羊が守ろうとしている図が描かれています。

(表紙画像を載せると著作権に抵触する可能性があるらしいので興味のある方は上記のリンク先からどうぞ)

この表紙が本書の内容を表しています。つまり、以上三つの施策は英語教育を壊してしまう愚策である、というのが本書の主な主張です。

著者たちの主張を簡単にまとめてみましょう。

1. TOEFL導入:大阪府で失敗済み。TOEFLは北米留学用の試験で、日本の指導要領に合わないし、難しすぎる。

2. 英語の授業は英語で:ここ20年の英語教育はコミュニケーション中心になったせいで文法の学習が減り、そのせいで英語の試験の成績が落ちている。

3. 小学校英語:外国語環境で日本人が英語を学ぶには文法知識が必要であり、それをするには小学校では早すぎる(「一定の知的発達」が必要)。まずは母語での思考能力を上げることが将来の英語力の向上にもつながる。


また、TOEFL導入などは国際化著しい産業界からの要望であること、その産業界は国籍も関係なくTOEFLなどの過酷な試験を課して生き残ったものだけを使い、負けたものは非正規職員として搾取しようという意図があることを批判しています。

著者らの批判、特にTOEFL導入に関する批判はとても説得力があります。多少感情的な論調であるにせよ、

[1] 日本の学習指導要領と全く関係の無い外部試験を課すことは問題
[2] TOEFLという試験の難易度を知らずに提案しているように思えること(TOEFLは難しすぎて適さない)


この2点はまさに私も賛成します。

また、大学の取り組みについての批判も的を射ています。TOEIC/TOEFLの点数、英語授業の比率には熱心だが、英語を本気で必要としている学生(英語で発表したり、論文を書いたりする必要のある学生)への支援は非常にお粗末だ、と、東京大学の例が挙げられています。まさに私は東京大学の大学院で英語の論文を書いたり発表をする立場ですので、その批判には心から納得できます。英文の校正代って高いんですよ…。

ただ、残念な点もいくつかありました

まずは、現状認識についてです。現在の学校の英語教育がコミュニケーション中心になっていることについて、何の根拠も上げずに前提として話しています

(「少なくとも公的には」とも言っていますから、ごく普通の学校のごく普通の授業についての認識がどうなかはわかりませんが)

私の普段接している広島市及びその周辺の中高生に話を聞くと、会話や自由英作文を中心に授業を行っている中学校、高校は一つ(多めに数えて二つ)しかありません。自由英作文の書き方についてまともな指導を受けた生徒は、20人近くに聞いてもその例外校の生徒以外一人もいませんでした

また、発音記号の指導を行っている学校は、今まで一つも聞いたことがありません。こちらは東京の知り合いも同じことを言っていました。

普段から会話を中心に授業を行っている学校も、その一校以外知りません。中高、特に高校では、伝統的な訳読と非常に細かい文法指導ばかりです。これのどこが「コミュニケーション中心」なのでしょうか?

著者たちは、センター試験などが「訳しなさい」タイプではなく「趣旨・内容を理解しなさい」タイプに変わったことを「コミュニケーション中心」の根拠の一つに挙げているのですが、それを「コミュニケーション中心」と呼ぶのに抵抗があるのは私だけではないと思います。「コミュニケーション中心」の定義も難しいですが、少なくとも英会話が含まれることは間違いないと考えていいと思います。

2つ目の問題点は、6年間学校で学んだからと言って、英語学習の観点から英語が出来るようになるわけがない」という主張を免罪符にしているように感じられる点です。

「学校教育だけでは無理」、この主張はもっともで、学校の授業だけで英語をマスターできるような人はまずいないでしょう。

しかし、実際に School Imanishi で週に1回会話や英作文の勉強をしている生徒、少なくとも半年以上通った生徒は、全員会話や英作文が上達しています。(上達の度合いはある程度主観的にしか測れませんが、例えば英作文の語数が増えたことなどからもそれが言えます。)

週に1回、80分の授業+宿題で上達するものが、毎日授業が出来る環境で上達しないというのはどういう事なのでしょうか?

100のレベルには到達できなくても、学校教育だけで50までは行ける。でも、現状は15ぐらいまでしか行けていない。それを「学校教育だけでは100には行けない、限界があるから15でもしょうがない」と言って投げてしまうのは問題があると思います。

最後の問題点は、TOEICやセンター試験で会話力を測ることが出来るのでは、という主張です。

150ページ当たりの座談会の議論では、「スピーキングの力っていうのは、直接測らなくても、センター試験で測れるようなところから推し量れるとか、そういう議論はありません?」「(TOEICなどについても)調べてみれば何か出て来るかもしれないですよね」と述べられています。TOEICは高得点になるほど会話力との相関が薄くなるという現象を知らずに議論をしている様子がうかがえます。

お医者さんなどは英語の偏差値が非常に高い学部を出ていて、センターでの得点率は9割近くかそれ以上のはずです。それでも英語があまりしゃべれない人が多い(ほとんど?)なのはなぜなのでしょうか

また、TOEIC900点以上でもまともに英会話ができない人がいるという報告はそこら中で見つけることができます。逆に、900点以下でも940点の私より英語を話すのがずっと上手な知り合いもいます

著者たちの言うとおり、TOEFLを卒業要件に」などの施策は大いに問題があります。しかし、本書での主張と現状認識も一部かなり問題があると考えざるを得ませんでした。

書評なので私見をあまり多くは書きませんが、私としては、英語を話す・書くことが必要とされる可能性が高まってきている以上、そういう方向性の能力を伸ばすカリキュラムは作るべきだと思います。

その際、TOEFLのような「劇薬」に頼らず、大学入試のいずれかのポイントに少しでも会話の能力を反映できるような試験を入れることしか手立てはないのではと思います。

著者たちはそんなことは「絶対に無理」と言っていますが、本当に英語教育を改革したいなら韓国のように色々試みようとしてしかるべきだと思います。端から「絶対に無理」と言い切ってしまうのはその必要性を感じていないから、つまり「現状維持で構わない」と思っているから、としか思えません。

後、著者たちの言う「公的な部分」だけでなく、実質も「コミュニケーション中心」つまり会話や英作文の指導の比率が増えた学校を少しでも増やしていくしか方法は無いと思います。どちらも「言うは易く行うは難し」ですが…。

そのために私が出来るのは、今手がけている民間教育で、会話・英作文能力を向上しつつ受験も成功するという成功モデルを築く一助となることだと思っています。

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at 2014/04/05 21:02:12